『祈りとしての手の動き』のこと
田畑書店から第五詩集
自費出版の金銭的な負担の大きさに加えて、読んでもらう機会(=流通)の観点からも、詩集の商業出版(著者が出版費用を負担しない)を一つの夢としていました。今回、叶ってとても嬉しいです。わたしにとって「よい」と思える詩を選んで、詩集として「よい」形に整えるのですが、それを出版社の方も「よい」と思って本にしていただいたと言えるのかなとも思っています。
表題作はありませんが、「祈りとしての手の動き」という1行を含む詩があります。詩を書くことは世界に対するひとつの祈りなのだと思います。わたしの外に詩という現象はあって、わたしはそれを受け取って詩に言葉として形を与えている「詩を書く装置」にすぎず、だから詩はいつもコントロールできません。始まりも終わりも詩が教えてくれる。自分の感覚を詩にしている面もあるけれど、その感覚はわたしだけでは生まれてこないものです。この世界を生きるわたしと、この世界に存在している詩が出くわして「詩作品」ができると最近は感じています。
『あかるい身体で』(七月堂)のあとは迷走気味で、詩をやめようかなあと思っていた頃もありましたが、やめることを視野に入れても詩の言葉を掴んで書いてしまう以上、しばらくはやめられないのだと分かりました。それから、追いかけているボーカリスト・SHINさんのWEAKENDという曲に「例え望まない終わりでも笑っていられますように」という一節があって、今わたしが詩をやめて笑えるだろうか、と問うたとき、笑えないと思ったことも詩を続けようと思った理由の一つにあります。望んだ結果を得られなくて活動を終えざるを得ないときに笑うには、やり切らないといけない。今はまだやり切ったとは言えない。
と言うわけで、まずは「私家版詩集アンソロジー」に収録していただいたことから、田畑書店さんにお声がけして原稿を読んでいただき、この嬉しい結果になりました。ここからは読んでもらうためにどうするか、わたしは本を売るプロではないので、著者の観点で届け方を考えたいと思っています。