月報 2025年1月

移動をたくさんした1ヶ月だった。そして6年ぶりくらいに普通の風邪をひいた。発熱はしなかったものの、鼻詰まりってこんなに苦しいものだったかと思った。

年越しは母親一家と鹿児島県の指宿温泉に行って、砂蒸し温泉で蒸されているときに初日の出を見た。4日はZepp Shinjukuでライブを見るために東京へ行った。物販とリハーサル見学の合間に紀伊国屋書店新宿本店へ駆け込んで、『あかるい身体で』がまだ棚にあるのを確認し、大崎清夏さんの新刊を買って開演を待つ間に早速読んでいた。とてもよいライブで、もっと大きな会場で歌う姿を見たいなあと自然に素直に思った。
5日の朝の飛行機で帰ってきて、夕方から鼻が詰まり始めて、これは物販の待機列が屋外で寒風が吹くなか1時間ほど立っていたせいだろう。市販薬を飲んでも治らなくて、久々に内科へ行った。

25日は大学時代の部活の友人2人と兵庫県北部の香住に行って向こう3年分くらいのカニを食べた。所要時間で言えば、香住は東京より遠い。1人あたりカニが1.5匹と言われても量がピンと来ていなくて、結果として2時間延々と食べ続けていた。刺身、焼き、鍋。テーブルの上にドーンとカニが乗った大皿、炭火、鍋が用意されていて、刺身は席についてから提供された。自分たちの好きなようにカニを焼き、鍋に入れて、頃合いを見て食べることを繰り返す。わたしにしては思い切った値段のカニであり、さらに鮮度が違うからか、味が濃厚。カニは手元を真剣に見て食べることになるので、会話量は減る。

友人1は但馬の人なので車で来てくれて、わたしと一緒に行った友人2が運転を代わり、岡見公園で日本海を眺めて見晴らしのよい古民家カフェでお茶をし、余部鉄橋を見に行った。列車転落事故があった鉄橋は、コンクリート造りで防風壁もある橋梁に変わっていて、古い鉄橋は一部が残され線路の上を歩くことができる。帰りは豊岡のホテルまで友人2の運転で向かい、友人1とはそこでお別れ。車の免許を持っていないわたしは単に乗っているだけなので、車を使わせてくれた友人1にお土産を渡した。

26日は豊岡市内のカバンストリートを見て歩き、全然鞄を買うつもりなんてなかったのに、革のポシェットをセミオーダーした。頭の片隅で、財布やスマホ、鍵とタオルハンカチが入るくらいの大きさで、革か合成皮革のポシェットが欲しいと思っていた。ちょうどよいサイズ感だし、手入れもそんなに気を遣わなくてよい革だというのもよかった。縫うのではなくリベット(鋲)で留めて作るもので、2枚の革の色と組み合わせたときにどちらを上にするか、リベットの色、ショルダーの長さを決める。約1ヶ月で届くそう。予定外の出費だから、しっかり働こう。ちょうど繁忙期になるところだし。

またしても『BRUTUS』で本を紹介していただいた。前回は言葉の特集の中だったけれど、今回はミュージアムの特集号でカルチャーコーナーの1ページで私家版詩集が紹介されていて、『戦略などなかった』を私家版詩集を3冊出している詩人の散文集として載せていただいた。『私家版詩集アンソロジー』ももちろん載っている。
BRUTUS Web版:https://brutus.jp/nagao_kishinami/

私家版詩集はデータさえ作れれば、簡単に作ることができる。その後の流通が課題で、わたしは文学フリマで一定数売れたり、いくつかの本屋さんに置いていただいたりして、3冊合計でたぶん600冊くらい販売したけれど、これが当たり前ではないことはわかる。出店し始めた頃の文学フリマはのどかだったこと、投稿欄に一定の期間掲載されていたこと、賞の候補になったことが大きい。文学フリマは今や大きくなりすぎて、作品をその場で見つけて買うことが難しく、例えば投稿欄で見た名前、賞の候補作などの惹句、試し読みへのリンクといったWebカタログの情報である程度選ばざるを得ない感じがある。そうなると書き始めたばかりの人、投稿欄が合わない人などには厳しい。

それから、詩のフリーペーパーを作って、機械書房さんに送り、長谷川書店水無瀬駅前店さんと葉ね文庫さんへ持参し、葉ね文庫さんでイベント中だった七月堂さんにもお渡しした。配布場所を増やしたほうがよいのだろうとうっすら思いつつ、増やすとしても手で四つ折りにしているので限界があり、あと80部くらいという感触がある。あと、どのお店に声をかけていいのかがわからない。宣伝や営業が本当に苦手。

月報を週報に変えるのもよいかもしれないと思いつつ、毎週書くことなんてあるのだろうかとも思う。