わたしは詩を書いている。「詩人です」と名乗ってもいいのだろうけれど、「詩を書いています」と言うほうが自分の気持ちにぴったりだ。その時その時の自分から少し踏み出して、自分の詩を差し出してみると、新しいことに繋がっていったな、と思う。
詩を書き始めたとき、自分の感覚や感情を一番反映できる創作手段だと思った。少し経つと書いたものに対して、果たしてこれは他の人から見ても詩なのだろうか、と思った。それを知りたかったけれど、何から始めたらいいかわからない。投稿欄があることは何となくわかっていたけれど、いきなり詩の雑誌に投稿する勇気は出なかった。でも何もしないでいては、何も変化は起こらない。だから、少し踏み出してみよう。短歌や俳句には結社があるということは知っていたけれど、詩にそういうものがあるのかわからなくて、「詩 講座」「詩 教室」と言った単語でネットを検索した。そして見つけたカルチャーセンターの詩の講座に申し込んだ。その講座は合評が中心で、わたしが初めて提出した作品は詩として読んでもらえた。しばらくの間、楽しく通った。
2015年9月、文学フリマ大阪に出会った。たぶん夏のうちにネットで知ったのだと思うけれど、遊びに行ったら出店者のみなさんがそれぞれに様々な内容の本を頒布していることが楽しくて、次は出店する側に回りたいと思った。そして出店するなら、詩の冊子を作ろうと決めた。また少し踏み出す。
2016年9月の第四回文学フリマ大阪に参加した。2015年4月から2016年3月までに書いた詩をまとめて冊子を作った。自分の詩を本の形で読めるのは、単にA4用紙に縦書きで印刷したものとは違って、この1冊がひとまとまりという感じがあった。開始前に冊子を並べながらドキドキしたけれど、作った冊数のおよそ半分を頒布できた。予想以上だった。話しかけてもらったことも、冊子を買っていただくことによって、わたしの詩に価値を見出してくださる方がいるのだ、ということを知ったことも嬉しかった。
文学フリマ大阪で自信をもらって、わたしを全く知らない方に詩を読んでもらおうと、2017年1月号分から詩の雑誌に投稿をしようと思った。初めて投稿したのは2016年11月で、書き始めてからは2年くらいの頃だ。しばらくは佳作にもならなかったけれど、1年は続けて1作でも佳作として名前が載ることを目指していた。そしてその日はやって来る。2017年6月号の『ユリイカ』と『現代詩手帖』で入選した。とても驚いた。佳作を飛ばして入選するとは思わなかった。届くんだな、と思った。その時の選評は時々読み返す。
投稿していた時期についての詳しい話:詩を投稿した1年間のお話。
2017年9月だと思う。『きょりかん』を眺めてふと中原中也賞に応募してみようと思い立つ。『きょりかん』は2017年1月の第一回文学フリマ京都に合わせて作って、9月の第五回文学フリマ大阪でも頒布した。初めて作った冊子よりも多く印刷したから、手元にまだ残っていた。文学フリマで頒布できたこと、詩の雑誌に入選したことが背中を押したんだと思う。でも、候補に残るだろうなんて全く思っていなくて、要項を満たしているから作った記念に応募しようという気持ちだった。だから、受領書のハガキが届いて満足して、すっかり忘れていた。
2018年2月。少し踏み出して、差し出してみた結果としては一番大きなものを受け取る。『きょりかん』が第23回中原中也賞最終選考作品になった。全く予想していなかったので、何が起こったのか分からなかった。あんなに小さな本がこんなに大きな場所に行くなんて、思っていなかった。山口市のwebサイトと『ユリイカ』で選評を読んで、書き続けていく力をもらった。選評は今でも読む。
『きょりかん』は2018年1月の第二回文学フリマ京都でも頒布していたため在庫が少なく、大急ぎで新装版を作ったら、思った以上にお手に取っていただけた。やはり、書いたからには読んでもらえると嬉しい、とわたしは思う。
2018年と2019年には依頼原稿を書くという経験もした。私家版詩集を数軒の本屋さんに置いていただいた。大阪と京都の文学フリマには継続して参加している。フリーペーパーも作っている。
2020年2月には、第25回中原中也賞で再び最終選考作品に『声を差し出す』が残った。まだ書いていけると思った。その選評を読んで自分の持ち味について考え込んだけれど、わたしの場合は考え込みすぎたり作り込みすぎたりせず、素直に書いていくのがいいんだろうという考えにたどり着いた。書き続ける中で新しい扉を開けられたらいいなと思う。
また、詩を通して年齢も性別も様々な方と交流することができている。今では疎遠になった方もいるけれど、数年間やり取りをしている方もいる。新しい出会いもある。これも、踏み出してみた結果だ。
踏み出すときには勇気がいる。その歩幅が大きいほど緊張感が高まり、必要な勇気も増える。自分の力を出せるだけ出して上手くいかなかったら、たぶん大きく挫けてしまうだろう。復活までの時間も長くかかるだろう。詩を書くのが苦しくなるのは嫌だった。
だから、自分が出せる程よい勇気で、少し踏み出してみる。そして、新しい場に自分の作品を差し出してみる。そうして得た経験で、次の一歩を決める。経験はよいことばかりではないけれど、よいことのほうが多い。
次に踏み出すのはいつになるか、どこになるかわからないけれど、時間が流れるからにはわたしも進んでいきたい。